あれから(絶望少女達2020)を聴いて - 感動とちょっとした寂寥
以下、さよなら絶望先生、かくしごと(両コミックス・アニメ含む)のネタバレを含みます。
かくしごと最終話めっちゃ良かったですね。
BS日テレのあの子は漫画を読まないに出たとき「伏線回収師」みたいな過多書きつけられちゃってましたが、見事そのハードルを越えてらっしゃいました。まさかEDの君は天然色の歌詞を拾うとは・・・
さて、このアニメのOP/EDの他に、大槻ケンヂとめぐろ川たんていじむしょ名義でのコラボCDが出ています。
そしてなんとカップリングには、大槻ケンヂと絶望少女達名義での9年ぶりの新曲が名を連ねています。
大槻ケンヂと絶望少女達
大槻ケンヂと絶望少女達は、アニメ さよなら絶望先生の女性声優陣と大槻ケンヂによるユニットです。
アニメ主題歌だけに留まらず、何故かコンセプトアルバム「かくれんぼか鬼ごっこよ」を1枚出しています。
またそのコンセプトアルバムもメタル・デスメタル・シューゲイザーとおよそアニメ発のアルバムとは思えぬサウンドメイクっぷりで、プロデューサーNARASAKIの作家性が爆発しているアルバムです。
また、オーケン自身も「外国の人に『お前の代表作は何だ?』と聞かれたら迷わずこのアルバムを挙げる」と評価しています。
大所帯(声優フル出演だと9人くらい+バンド)ながらもアニメロサマーライブ2009や単独(恵比寿LIQUIDROOM、日比谷野音)などライブを繰り返しており、そのライブパフォーマンスもファンの間では語り草でした。
なおバンドメンバーは、大槻ケンヂ・NARASAKIのバンド特撮が録ることもあれば、ライブ時に出てくるメンバー(Ba 村井研次郎(Cali≠gari) Key DIE(ex. Hide with Spread Beaver) Dr 岡崎達成(Lucy))が録ることもあった様子。
しかしながら、2011年のさよなら絶望先生Blu-ray BOX向けの新曲(これも凄い概念だが)をリリースしたっきり、さよなら絶望先生のアニメの新作が出なくなったのもあり、当然活動はストップしました。
そんな彼らが、同じ久米田康治作品のアニメ作品に付随する形で、レーベルを越えて(絶望先生:キングレコード、かくしごと:エイベックス)なんと新曲をリリースしたのです。
あれから(絶望少女達2020)を読み解く
下記、オタク特有の早口でつらつらと書きます。
サウンド
最近リリースされたオーバー・ザ・レインボーでも顕著でしたが、最近の特撮はかなりラウドな音に回帰している印象です。
サイバーなリフから小林ゆうさんのシャウトが入ったときには鳥肌が立ちました。「あの」大槻ケンヂと絶望少女達が返ってきたんだ、しかも年月を経てるからといって半端なワークを引っ提げてきたわけじゃねぇ、むしろパワーアップしてやがる、って。
Aメロは林檎もぎれビーム!Aメロを彷彿とさせる、音程のないラップ(?)による掛け合いです。ここでオーケンと絶望少女それぞれのキャラクターが提示されました。
それ以外にもこの曲ではアウトロの合唱で空想ルンバのアウトロを踏襲してますね。
ちなみに構成では1番Aメロが2回しあるのに対し2番が1回し。人として軸がぶれているも同じ構成でした。
TVで流れない2番は割と好き勝手やるというのはアニソンあるあるな気がします。有名所だとおジャ魔女カーニバル!!とか(2番Aメロが始まると思ったらバチバチ転調したブリッジが入って何事も無かったかのようにリフとAメロが続く)
2番Bメロのシメの新谷良子さんは流石と言わざるを得ません。絶望少女達の中では(この曲に参加してない声優も含め)最も歌手としてのキャリアが厚い彼女のプロの仕事が発揮されています。またここの歌詞が良いんだ(後述)
やはりサウンド面で特筆すべきは林檎もぎれビーム!のラスサビを「泣かせ」をもう二晩煮詰めたようなラストサビの展開じゃないでしょうか。
終わるかと思ったらまだ終わらないラストサビのリピート。重ねられるシンセ+ピアノ。そしてラストの掛け合い。ここで私は号泣しました。
またラストの沢城みゆきさんのシャウトにも注目です。今まで大槻ケンヂと絶望少女達の作品では徹底して声優陣はキャラの声を崩さず歌っていました。
が、ライブパフォーマンスでは(特に)小林ゆうさんや沢城みゆきさんのキャラクターを無視した全力パフォーマンスが人気でした。初パフォーマンスとなったAnimelo Summer Live2009で小林ゆうさんはヘッドバンギングのしすぎでステージ後担架で運ばれています。
小林ゆうさんのシャウトは絶望先生アニメ内の木村カエレもそんな感じなんですけど、マ太郎は絶対にこのシャウトはしないんですね。つまりこれはアニメキャラクターとしてではなく、「大槻ケンヂと絶望少女達の沢城みゆき」のシャウトなんです。今まで侵さなかった不文律を破って、大槻ケンヂと絶望少女達を単独のアーティストとして昇華した、そんな1小節だったと思います。
歌詞
ストーリーとしては「親戚の女の子と会った際に昔のアニメ(=絶望先生)を観ているのを見て、語り手(=オーケン)が昔を回想する」というストーリーです。オーケンが書きがちな自叙的な歌詞ですね。
そうかあれから時は経つ 俺は大人になれたのか?
と自問するオーケンに対し、少女は
でもこれって昔のことよね?今はちゃんとしてるんでしょ?
ちゃんとぶれなくなったんでしょ?
どして なんで なんで黙んの?
と激詰めをカマします。
1番Bメロで
絶望した日々あったからこそ 今思うよ
丸くなったわけじゃないんだぜ
と言っているところから、語り手は「大人になったとは言いたくないし言えない(けど年齢などの理由でもう「大人」でなければならないんだよね)」という気持ちであることが伺えます
以降繰り返されるのは「生きているだけでいいんだ」という古臭い(実際、女の子からは揶揄されてしまう)けど実感のこもったメッセージです
あれから僕らにも いろいろあった
いろいろあったけど 生きてればGood Job
生きているだけでいい仕事
そーれ カルトかなんかの勧誘?
...
生きているだけでいい仕事
そーんじゃ 死んだらハイそれまでよって?
記憶の中で生きてれば
これを読んでまずもって浮かんだのは、2015年に急逝した藤吉晴美役の松来未祐さんです。
大槻ケンヂと絶望少女達のメンバーで、表題曲には参加することはありませんでしたが「かくれんぼか鬼ごっこよ」の絶望遊戯など、名曲を遺しています。
またそのキャラクターも絶望先生のアニラジ 絶望放送などでフィーチャーされ、ファンにはとても愛されていました。
そもそもオーケンの周りには(年齢的にも職業的にも)亡くなった方はいっぱいいるはずなので彼女だけのことを歌ったわけではないと思いますが。
ちなみに、最近出した「かくれんぼか鬼ごっこよ」の自作音声解説でも松来さんのエピソードに触れています。
あとはこの「記憶の中で生きてれば」というあやふやな死生観は絶望先生のオチ(事故で死んだ赤木杏がドナーとなり自殺生還者である絶望少女達の中で生体として生き続けている・少女たちは亡くなった別の女の子たちの依代となり学生生活を繰り返し続けている)に通ずるものがあると思います。オーケンがそこまで含めて書いているかは微妙なところですが。
さて、ロックミュージシャン、というより一人の男として「大人になった」とは言いたくないけど、こういう形で「わかり合い」ます。
絶望に落ちたことあったからこそ 今わかるよ
あきらめたなんてことではないのさ
時が過ぎて わかり合う
ああ あいつらも同じって
これは2番サビ前ですが、この「あいつら」は林檎もぎれビーム!の同じく2番サビ前の
変わったあなたを誰に見せたい?
あからさまに見くびった奴
あいつらにだ!
の「あいつら」ですね。
「あいつら」にずっと牙を剥いていたけども、時間が経って「あいつら」も俺と同じだったんだ、と実感(痛感)したんですね。
ここ、「あいつらにだ!」も「あいつらも同じって」も曲がブレイクになってるんですね。そこの対比に気付いたときには震えました。
さて、2番サビでは
絶望それだけが 僕らに教えた
幸せの日々は 今ここにある
絶望それこそが 君に教えた
生きてればGood Job
これは「かくれんぼか鬼ごっこよ」の「さよなら!絶望先生」の歌詞ほぼまんまですね。
自作音声解説でも言っていますが、「『絶望先生のユニット』をやるんであれば、ドストエフスキーの『絶望の中にも焼け付くような快感がある』という言葉を描こう」というオーケンのこの作品に対する想いがまっすぐに表現されたのが「さよなら!絶望先生」という原作名ほぼそのままの楽曲です。
これをまんま持ってきてるのは「さよなら!絶望先生」の時代ではいわば先生のような外部化された言葉であったが、本曲では内部化された自分自身の言葉として語っているのではないかと思います。
そして怒涛のラストサビへ
たられば後悔したとて
なるよになるしかならない
あれから過去からそれより
これから何して生きよう
これから何して遊ぼう
生まれてきたならただそれだけで
それだけでGood Job
畳み掛ける、「これから」への呼びかけ。
まぁなんか色々あったけど結局これからどう生きてくかだよね、それしか無いよね、という、ここにきてまさかのケ・セラ・セラ。
絶望とか希望とか色々あったけど、これからいかにして生きていくか、ただそれだけなんじゃないの。(ただそんなことを言ってしまう自分にどこか恥ずかしさもある。「大人になった」とは言いたくないけど。)
10年。あれから10年です。
深夜にアニメを見ていたブレていた奴らも、どうにか10年生きてきた。そしていま生きている。それだけでいいんだよ、それだけで・・・正直「ジジイかよ!」と反発したくなる気持ちと「まぁそうだよね・・・」という気持ちがせめぎ合います。自分はオーケンよりは遥かに若いけれども、日々を生き抜いているうちに自らの精神が摩耗していく感覚には痛いほど共感してしまいました。
総じて
本当に素晴らしい作品です。ただノスタルジーを醸すだけではなく、大槻ケンヂと絶望少女達の新作として、そしてフィナーレ、伏線回収として、非の打ち所がない作品でした。
悔しいですが、悲しいですが、寂しいですが、これにて大槻ケンヂと絶望少女達の、少なくとも作品リリースは終わったんだな、と、そう思わされる作品でした。
でもオーケンも「いつかライブやりたい」とは言ってたし、ライブは諦めません。